江戸時代につくられた「まち」新見御殿町まち歩きガイド
新見御殿町を巡る

津国屋 内蔵(倉庫)

津国屋は札座、鉄問屋、造り酒屋、町名主をしており、藩指定の六問屋の一つでした。
内蔵は文化11年(1814年)の建物で、山田方谷(9歳)が丸川松隠の家塾で勉強をしていた時代です。
津国屋内蔵に当時津国屋で使われていものや、一間半七社の神棚、酒蔵の鬼瓦、山田方谷の手紙等が展示してあります。

元料亭 松 葉

明治から昭和30年頃まで料亭として一世を風靡した。明治26年の建物で、津国屋の四軒長屋だった二軒分を明治末頃に華やかな料亭として改築しました。端唄・小唄・都都逸と粋な人の集まる料亭でもありました。
玄関前の通り、三味線横丁(昔たぬき小路)を粋なお姉さんと旦那衆の歩く下駄の音が今でも聞こえてきそうな不思議な空間です。

御殿町センター

「御殿町づくり」事業のシンボル施設として旧元福酒造跡地に平成6年に建てられた。外観は商家の蔵をイメージし、館内には旧新見藩主関家にまつわる資料を展示してあり、研修室なども兼ね備えている。

寿福松原(通称松原通り)

この通りは、関のお殿様によって寿福松原と命名されております。藩祖関長政侯の院号「寿福院」にちなんでつけられた名称です。現在でも通称松原通りです。昭和15年に枯れて切られるまで樹齢250年の寿福の松がありました。第10代藩主博直侯がお書きになった「寿福松原記」は西来寺に什物として奉納されています。(昔の写真)

太池邸

近代新見地域の商業の中心地として栄えた中町界隈にあって、その中核的な商家の一つ。明治末期の建物で新見初の百貨店として呉服をはじめ色々な商品を扱っていました。現在は新見市が借り受け、交流拠点施設として利用させています。

元大阪屋旅館 別館

明治から昭和30年代まで料理旅館をしていた大阪屋旅館の別館で、昭和の初めの建築物。床柱の黒柿も今に残っています。当時の政財界人が多く訪れ、橋本龍伍氏(当時厚生大臣)もよく泊まっていました。まさにその時代の勢いを感じます。

カツマルギャラリー

カツマル醤油は明治32年創業で、大正から昭和の初めの建築物。ギャラリーでは四季を通じ色々な作品展を催し、地元特産品等も販売しています。レトロな建物の中のモダンなギャラリーは、ほっと一息楽しめるスペースとして、まちの交流の場となっています。