元禄10年(1697年)新見藩主となった関備前守長治侯が船川八幡宮大祭における御神幸の警備にあたらせたのが始まりと言われています。
 10月14日の「湯立ての神事」を祭礼と定め、10月15日に行われる秋季大祭当日の御輿の御神幸に際してその前駆を務めるもので、行列は長刀・鉄砲・弓矢などの武器を携える総勢64名からなり、青竹を手にした2人の先払いを先頭に「下に、下に」の警声とともに神社を出発し、宮地町の御旅所へ向かい、また宮へ帰ります。沿道では氏子が幔幕を張り、盛り塩で清め、男性は土下座をして御神幸を迎えます。女性や子供は家の中の座敷からでもよいとされています。

船川八幡宮
 船川八幡宮は鳥羽天皇の天永年間(1110年〜1113年)に山城国男山町八幡宮から新見今市に勧請し、応永17年(1410年)に焼失しましたが、同21年(1414年)平信濃入道により再建したと伝えられます。戦国時代には鳶ヶ巣城主徳光兵庫頭の信仰が厚く、たまたま神夢により備中松山への船路を開いたことから船川の山号を贈り、以来船川八幡宮と称しました。正徳5年(1715年)新見藩主、関備前守長治侯により現在の位置に奉遷されました。